③子ども家庭福祉

●児童の人権と児童家庭福祉(子ども家庭福祉)

1 子ども観の転換

18世紀ごろの社会では、「子どもの存在」が認識されておらず、幼児期を過ぎた7歳頃には、社会的には大人とみなされていました。
そんな中でルソーは、「子どもの発見」と言われる主張をしています。

子どもは小さな大人ではなく、子どもは子どもでなければならない。
子どもには子ども特有の感覚や見方、考え方がある。
子どもの心身の発達には過程があり、各時期に適した教育を行うべきである。
幼児期に「自己愛」が健全に育まれることで、成長とともに生まれる欲望が必要以上に増大することや利己心に変質することを防ぐ。

これまでの子どもの人間性を無視した古い教育観に対して、子どもの独自的存在を認めること、子どもを子どもとして扱うことを提唱しました。

ルソーは著書「エミール」のなかで、幼児期における教育は消極的であるべきだと述べており、これがルソーの教育理念だと言われています。

幼児期に知識や理屈、道徳などを教え込もうとしても理解できなかったり、得た知識などを誤って使う恐れがあるとし、子どもが自ら経験し刺激を受け、そこから得た教訓が子どもを人間的に成長させるという考えです。
従って大人は子どもに対し、早期教育を行うのではなく、子どもの自発性を重要視することが幼児期の教育だといいます。

2 白亜館(ホワイトハウス)会議宣言

 1909年、セオドア・ルーズヴェルト大統領の招集により、子どもに関する会議がホワイトハウスにおいて開催されました。子どもの福祉のために世界で初めて開催された会議です。会議の正式名称は『要保護児童の保護に関する会議』で、児童家庭福祉のためのアメリカの全国会議として約10年ごとに開催されています。
 会議において、『家庭生活は,最高にして,最も美しい文明の所産である。児童は,緊急にして止むを得ないニーズを除いては,家庭からひき離されてはならない』との主旨の家庭尊重の原則が宣言されました。これによって,1912年には連邦政府児童局が設置されました。

3 児童の権利に関するジュネーブ宣言

第一次世界大戦で多くの子どもが命を失ったことの反省として、「人類が児童に対して最善のものを与えるべき義務を負う」という子どもの適切な保護が、「児童の権利に関するジュネーブ宣言」として国際的機関で初めて宣言されました。

【ジュネーブ宣言・全文】

「ジュネーブ宣言」として一般に知られる当「児童の権利宣言」により、すべての国の男女は、人類が児童に対して最善のものを与えるべき義務を負うことを認め、人種、国籍または信条に関する一切の事由に関わりなくすべての児童に、以下の諸事項を保障すべきことを宜言し、かつ自己の義務として受諾する。

・児童は、身体的ならびに精神的の両面における正常な発達に必要な諸手段を与えられなければならない。

・飢えた児童は食物を与えられなければならない。病気の児童は看病されなければならない。
発達の遅れている児童は援助されなければならない。
非行を犯した児童は更生させられなければならない。孤児および浮浪児は住居を与えられ、かつ、援助されなければならない。

・児童は、危難の際には、最初に救済を受ける者でなければならない。

・児童は、生計を立て得る地位におかれ、かつ、あらゆる形態の搾取から保護されなければならない。

・児童は、その才能が人類同胞への奉仕のために捧げられるべきである、という自覚のもとで育成されなければならない。

4 児童の権利に関する宣言

第二次大戦後、子どもたちの自由と開放を目ざして、これら3つが制定されました。新憲法が制定された1946年の翌年、この憲法の精神を踏まえて制定されたのが「児童福祉法」。さらに、児童福祉に対する国民の意識を啓発するために、1951年5月「児童憲章」。また、国際連合において、1948年の世界人権宣言を踏まえ、1959年に制定されたのが「児童権利宣言」です。1979年の国際児童年は、児童権利宣言の20周年を記念して定められました。

5 児童の権利に関する条約

1989年「子どもの権利条約」は国連で採択され、1990年国際条約として発効しました。日本は1994年4月22日に批准し、1994年5月22日に発効しました。

1948年
「世界人権宣言」
すべての人は平等であり、それぞれが同じ権利をもつとした宣言

1959年
「児童の権利宣言」
子どもは子どもとしての権利をそれぞれもつとした宣言
このときから、宣言だけでなく実際に効力のあるものができないかと考えられはじめた

1978年
「子どもの権利条約」の草案(はじめの具体的な案)がポーランド政府から提出される

1979年
「国際児童年」
「児童の権利宣言」20周年。世界中の人が子どもの権利について考える機会になった。
国連人権委員会の中に「子どもの権利条約」の作業部会が設置された

1989年
「子どもの権利条約」国連で採択
ユニセフや多くの国の10年にわたる努力がみのる

1990年
「子どもの権利条約」が国際条約として発効

現在
196の国と地域がこの条約を締約

〇「子どもの権利条約」には、次の4つの原則があります。

・命を守られ成長できること

すべての子どもの命が守られ、もって生まれた能力を十分に伸ばして成長できるよう、医療、教育、生活への支援などを受けることが保障されます。

・子どもにとって最もよいこと

子どもに関することが行われる時は、「その子どもにとって最もよいこと」を第一に考えます。

・意見を表明し参加できること

子どもは自分に関係のある事柄について自由に意見を表すことができ、おとなはその意見を子どもの発達に応じて十分に考慮します。

・差別のないこと

すべての子どもは、子ども自身や親の人種、性別、意見、障がい、経済状況などどんな理由でも差別されず、条約の定めるすべての権利が保障されます。

6 社会的養護を必要としている児童の権利擁護

社会には、さまざまな理由により、保護者がいなかったり、保護者の適切な養育を受けられない子どもたちがいます。

社会的養護はその子どもたちを社会全体で育て、支援する仕組みです。またその子どもの家族も支援していきます。 日本には約45,000人の子どもたちがその対象になっています。

子どもたちがみんな、安心できる日常生活を送り、適切な支援を受けながら、自立した生活を送れるように環境を整えるためには、いろいろな場面において子どもの権利を尊重した関り(権利擁護の視点)が必要です。

7 国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約(ハーグ条約)

国境を越えた子の連れ去りは、子にとって、それまでの生活基盤が突然急変するほか、一方の親や親族・友人との交流が断絶され、また、異なる言語文化環境へも適応しなくてはならなくなる等、有害な影響を与える可能性があります。ハーグ条約は、そのような悪影響から子を守るために、原則として元の居住国に子を迅速に返還するための国際協力の仕組みや国境を越えた親子の面会交流の実現のための協力について定めています。

(1)子を元の居住国へ返還することが原則
 ハーグ条約は、監護権の侵害を伴う国境を越えた子の連れ去り等は子の利益に反すること、どちらの親が子の監護をすべきかの判断は子の元の居住国で行われるべきであること等の考慮から、まずは原則として子を元の居住国へ返還することを義務付けています。これは一旦生じた不法な状態(監護権の侵害)を原状回復させた上で、子がそれまで生活を送っていた国の司法の場で、子の生活環境の関連情報や両親双方の主張を十分に考慮した上で、子の監護についての判断を行うのが望ましいと考えられているからです。

(2)親子の面会交流の機会を確保
 国境を越えて所在する親と子が面会できない状況を改善し、親子の面会交流の機会を確保することは、不法な連れ去りや留置の防止や子の利益につながると考えられることから、ハーグ条約は、親子が面会交流できる機会を得られるよう締約国が支援をすることを定めています。

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今の時代、多くの人がストレスを抱えて生きていると思います。 私も成長期の家族からの暴力や虐待に30年以上たった今でもトラウマを残し、生きづらさを抱えて生きてきました。 でも、人はみんな幸せに生きる権利があります。今の人生がつらい過去の上にあるとしても、そして、自分を取り巻く状況が厳しいものであっても、人の心や幸せの意味を考えてみんなに幸せになってもらいたいと思います。 最近、保育の勉強に興味をもちました。学んでいると、まるで自分を育てなおしているような気持になります。学んだことをブログにもまとめていますので興味のある方は是非ごらんください。育児中の方などにもお勧めです。