◎暴力・虐待の記憶

●小学生の頃、剣道の指導者から5年間性的虐待を受け続けた友人

1 大嫌いだった剣道

私は5歳から剣道の道場に通っていた。というよりは、通わされていた。小さいころから私は剣道が大嫌いだった。

どちらかというとおとなしくのんびりとした子どもだった私は、本を読んだり、折り紙や手芸などが大好きで、歩いていても頭の中に紙や布が浮かんできて、「今日はこんなものが作りたいな」などとイメージしていた。でも、子どもを活発に育てたかった両親は、私から好きなものを取り上げ、サッカーや剣道を押し付けた。もともと父親が剣道をやっていて有段者だから、私も剣道をやらなければいけないという、よくわからない理由もあった。また、両親から、剣道をしていると礼儀が正しくなり頭もよくなるから、剣道をやらなければいけないとも言われたが、昔も今も、私の父が礼儀正しく頭が良いと思えたことは一度もない。

私の趣味の物は買ってもらえないので、新聞のチラシを折り紙の形に切ったり、割りばしを編み棒にして編み物をしたりしてみたが、結局、捨てられた。そして、なぜそんなことに興味を持つのかと怒鳴られ、殴られた。

小学生の頃から、両親は、自分たちの好きなものを習い事として私にやらせた。サッカー、剣道、水泳、ピアノ、珠算、英語。私はどれもやりたくなかった。両親は私のために、私の将来のためやらなければならないと、この習い事を押し付けた。

私が両親の期待通りの成果を出せないと、怒鳴り、つねり、殴る、蹴るなどして私を追い詰めた。私が泣いても謝っても、暴力によって鼻血が出ても、自分たちの気が済むまで怒鳴り、暴力をふるい続けた。でも、子どもの頃はそれが普通だと思っていた。子どもは小さいころは自分の家のことしか知らない。だから、子どもは嫌なことを押し付けられ、それに従わなければ、親に罵声を浴びながら暴力を受けなければならないものだと思っていた。

サッカー、剣道、水泳、ピアノ、珠算、英語、この中で、私は剣道が特に嫌いだった。小学校低学年のころは毎週、週末に道場に行かされた。憂鬱でたまらなかったが、親の言うことに従うしかなかった。小学校の高学年になってくると学校でクラブ活動がはじまる。もちろん両親は剣道以外のクラブに所属することは許さなかった。中学生になると部活が始まった。ここでももちろん剣道部以外は許されなかった。他の部活を見学に行っていたことが両親の耳に入れば、剣道以外のものに興味を持ったこと自体を怒られる。怒鳴られ、殴られ、蹴られた。結局、暴力が怖くて、やる気はなくても剣道部に入るしかなかった。やる気がなさそうな素振りを少しでも見せてしまうと、また、暴力を振るわれるの繰り返しだった。

2 大好きだった友達

大嫌いだった剣道。でも、道場に行かないと、怒られるし暴力を振るわれる。だからしょうがないから行く。それだけの理由で通っていた道場で、小学校2年生の時友達ができた。同じ小学校に転校してきたナオコちゃんだ。ナオコちゃんも私と同じくおとなしい子だった。本当は剣道はやりたくないと言っていた。でも、行かないとお父さんに怒られるらしい。私と同じだと思った。

ナオコちゃんはおとなしくて目立たない子だったが、小学生の時から国語の勉強が良くできたのを覚えている。実力テストなどでも、ナオコちゃんはいつも1番で、よく満点を取っていた。心が優しくて思いやりのある子だったので、きっと、人の心や場の空気などが読めて、国語の文章などの読み取りも上手にできる子だったのだろうと思う。

ナオコちゃんは、学校では違うクラスだったが、休み時間や放課後は話をしたり、一緒に下校したり、よく話をした。「また、日曜日剣道あるね」「嫌だね」「でも行かないとね」「行かないと親に怒られるから我慢してがんばろうね」などと励ましあった。剣道は嫌いだったけれど、ナオコちゃんと会えると思ったら、なんとか道場に行こうと思った。

3 言えなかった、友達が受けていた性的虐待

ナオコちゃんが、同じ道場に通いだして2年と少し経った頃のこと。小学校の5年生になったばかりの頃だった。

いつものように、嫌いな剣道の稽古をなんとか3時間やり、道場の道具の片付けや掃除を行い、自分の荷物を整えて、更衣室で着替えをした。道場に通っているのは、ほとんど男の子で、男の子たちは、あまり掃除などもせず、着替えもせず、稽古が終わるとさっさと帰っていた。ナオコちゃんとは、道場でグループが分けられていたので、毎回、稽古の途中からあまり会えなくなる。道場を出て帰るときは、大体、私はひとりだった。

ある日、帰ろうとしたら、下駄箱に女の子の靴が残っていた。ナオコちゃんの靴だった。でも、道場にも更衣室にもナオコちゃんの姿はなかった。「ナオコちゃん、靴、間違えて室内履きで帰ったかな?」あまり深く考えずに、自転車置き場に行った。ナオコちゃんの自転車がまだあった。おかしいな。ナオコちゃんまだいるのかな?トイレかな? 気になって、私は道場に戻った。

もう一度、更衣室に行ってみた。ナオコちゃんのロッカーを開けるとまだ、荷物が入っていた。「ナオコちゃん、まだいるんだ?」剣道の後は、なかなかナオコちゃんと一緒に帰れることがなかったので、ナオコちゃんがまだいると思ったら嬉しくなり、道場の倉庫などのドアをひとづずつ開けてナオコちゃんを探した。

いくつ目のドアを開けた時だっただろうか、そのドアは私が初めて開けた部屋のドアだった。中にナオコちゃんがいた。全裸だった。そして後ろから同じく全裸の剣道の指導者が抱き着いていた。その指導者は当時60代くらいで、白髪頭が半分はげたような、小柄で小太りの男だった。ハギワラといい、剣道4段の有段者で、稽古の時はとても厳しく、よく道場の子どもたちは、防具をつけていない状態で竹刀で叩かれていた。子供たちはハギワラを「先生」と呼び、恐れられている存在だった。

ハギワラはしばらくの間、私がドアを開けたことに気が付かず、全裸にしたナオコちゃんの体を夢中で触っていた。触った後、ナオコちゃんの体を上から下までなめまくっていた。ナオコちゃんは目をギュッと閉じて耐えているようだった。私は、ありえない光景を目の当たりにしながら、驚きと恐怖で声が出なかった。少し経つとハギワラはドアが開いていることと、私が見ていることに気が付き、全裸のままズカズカを私のところに寄ってきた。私は逃げたくても動けなかった。ハギワラは私に「話があるから、そこで待ってろ、絶対動くな。動いたら木刀でお仕置きだ」と言い、ドアを閉めてまた、ナオコちゃんがいる部屋に入っていった。

私は、ハギワラに言われた通りドアの外で動かずに待っていた。ハギワラの言うことを聞かないと木刀で叩かれるのが怖いということもあったかもしれないが、とにかく、ありえない状況を目撃し、体が動かなかった。息も苦しかった。足がすくみ立ち上がれずへたり込んでいた。

ハギワラはすぐ出てきた。さっきまで全裸だったが、服を着て出てきた。そして私の髪を引っ張って、床にへたり込んでいた私を立ち上がらせ、すごく怖い顔をして鼻がくっつくくらい顔を近づけ、低い声で「今見たことは、絶対に誰にもいうな。言ったら、お前の親父にお前が悪いことをしていると言って、ぼこぼこに躾けてもらうぞ。それにどうせお前の言うことなんか誰も信じない。お前は嘘つきだと親父に言ってやる。」と言った。ハギワラにそう言われている私の横を、服を着て部屋から出てきたナオコちゃんが、下を向いて小走りで更衣室に荷物を取りに行った。

私は震えがまだ止まらなかったが、とにかく道場を出た。自転車置き場に行ったら、ナオコちゃんが座って私を待っていた。私は「ナオコちゃん大丈夫?」と聞いた。ナオコちゃんは最初は黙っていたがしばらくすると話し始めた。「いつものことだから。もう2年くらい毎週、剣道が終わってかたずけをしていると、あの部屋に引きづりこまれて、全部脱がされる。ハギワラも全部脱いで、触ったりなめたりしてから、何回もやってくる。すごく気持ち悪い。帰りは痛くて自転車に乗るのがしんどい。今日はユキちゃんが来てくれたから途中で終わってよかった。でも、たぶん来週もやられる。いうこと聞かないと、叩かれるし、私が悪いって親に言われるし、怖いからあきらめてる。ユキちゃんも知らないことにしておいて。ハギワラに何されるかわからないよ」そういって、ナオコちゃんは帰って行った。

家に帰ったら、両親が昼ご飯を食べていた。いつもどおり。「ただいま」とあいさつをして、何事もなかったように、食事をとり、勉強机に向かって座った。その日見たことはもちろん話せなかった。そんなことを話しても、ハギワラの言うように親は信じなかっただろう。そして、言ったことがハギワラにわかれば、ハギワラからも復讐されるだろうと思った。

その後2年間、ナオコちゃんと私は小学校を卒業するまで同じ道場に通い続けた。ナオコちゃんは卒業までハギワラから性的虐待を受け続け、ナオコちゃんも私もハギワラから口止めされ脅され続けた。
ナオコちゃんも私も普段は、そのことを話題にすることは無かった。二人ともハギワラと自分の親が怖くて誰にも話せなかった。道場ではハギワラは、とても厳しいけれどまじめな人格者として、保護者からもほかの指導者からも評価されていた。

4 性的虐待が終わってから

小学校を卒業し中学生になると、この剣道場に通う子供たちは、部活や塾などで忙しくなり、ほとんどが道場をやめていく。ナオコちゃんも私もこのタイミングで道場をやめた。この時まで約4年間(その先もずっと)ナオコちゃんも私もハギワラの性的虐待については誰にも話さなかった。

そもそも当時は性的虐待なんて言葉は、誰も知らなかったし、そんなことがあるなんて話しても、誰も信じてはくれなかっただろう。先生と呼ばれる指導者が、子どもに性的虐待をするなんていう概念が無かったから、誰にどう話していいかもわからなかった。ともすれば、被害を訴えたほうが悪者にされる。そうやって、我慢していた子どもがたくさんいるかもしれない。

私は、中学生になっても父親から剣道以外の部活に入ることは許されず、自分の好きなことは全て諦め、中学の剣道部に入った。大嫌いな剣道を続けなければならず、家では、家族からの暴力に耐え、地獄の日々は続いていた。(ここでは私のことはどうでもいい)。ナオコちゃんは両親から、小学校卒業まで剣道を頑張って続けたご褒美に、好きな部活に入ることを許可され演劇部に入った。中学に入った当初は、ナオコちゃんはとても元気そうだった。好きではない剣道から解放されたことと、何より毎週のハギワラからの性的虐待から逃れられたことでホッとしているようにも見えた。私も、ナオコちゃんがもう、あんな目に合うことは無いだろうと思い安心していた。きっとこれからは明るく楽しい未来がナオコちゃんを待っているのだろうと思っていた。

中学1年の夏休みが終わり2学期になった。同級生はみんな日焼けして元気そうに、楽しかった夏休みの話や勉強の話、彼氏の話などで盛り上がっていた。私はナオコちゃんを見つけ声をかけた。振り向いたナオコちゃんをみて、びっくりした。ふっくらかわいらしかったナオコちゃんが、げっそり痩せ、目がギョロギョロしている。目の下に紫がかった濃い茶色のクマができて、明らかに顔色が悪かった。

私はナオコちゃんに「体調が悪いの?」と聞いた。ナオコちゃんは答えた。「体調が悪いというか、何も食べたくなくて、食べても気持ち悪くて吐いてしまう。夜も眠れなくて、なんか怖くてふるえてしまう。」私は「病気なの?何が怖いの?」と聞いたら、ナオコちゃんは「病院に行ってみたけど、悪いところはなかった。でも、眠るとハギワラが夢に出てくるし、ハギワラがどこかにいるかもって思うと怖くて頭が痛くなって、吐きそうになる」

ナオコちゃんは、中学の間ずっと体調が悪そうで、あまり顔を上げることがなくなった。呼んでも返事もしなくなった。2年生に上がるころ、ナオコちゃんは髪が抜け始めた。はじめはつむじのあたりが直径5cmくらい、はげていた。それが原因でからかわれ始めた。ナオコちゃんの円形脱毛はどんどん進み、学校にもあまり来なくなった。

当時中学生だった私は、とても心配はしたが、どうすることもできなかった。ナオコちゃんからも「誰にも言わないで」と言われていることを、人に言うこともできなかったから。性的虐待のことは誰も知らず、きっとナオコちゃんは一人でフラッシュバックやPTSDに苦しんでいたのだろう。私も、家族からの暴力や虐待で体調が悪いことがたびたびあったから、少しだけナオコちゃんの気持ちはわかるような気がした。

元気だった時のナオコちゃんは、とにかく優しくて賢かった。いつも国語が1番だった。そのまま何事もなければ、レベルの高い高校に行っていたはず。でも、ナオコちゃんは、地元で一番低いレベルの高校に行くことになった。たぶん、当時のナオコちゃんはもう勉強のことも高校のこともどうでもよくなっていたんだろう。

5 高校の時、ひとづてに亡くなったと聞いた

私はナオコちゃんとは別の高校に進んだ。ナオコちゃんと会うことは無くなったけれど、高校一年生の時、ナオコちゃんの近所に住んでいる中学校からの同級生から、ナオコちゃんがなくなったことを聞いた。自ら命を絶ってしまったということだった。何回か自殺を試みて失敗して、ついに命を絶ってしまったと。

ナオコちゃんの両親は、なぜナオコちゃんが中学時代から心身を病んでしまったのか、そしてなぜナオコちゃんが自ら死を選んでしまったのか、何も知らないようだった。中学の時、ナオコちゃんから、お母さんに「病院に行ってもどこも悪いところはないのに怠けている」「仮病でしょ」と言われると悩んでいた。

私はナオコちゃんが小学生の時から、剣道の指導者から虐待を受けそれが終わってからも、ずっとフラッシュバックや精神的な後遺症に苦しんでいたことがすぐに分かった。
苦しかっただろうな、辛かっただろうな。ナオコちゃんはもう苦しまなくてすむのかな。それとも死んだ後も心は苦しみ続けるのかな。。。。私はしばらくの間そんなことばかり考えていた。

ナオコちゃんが亡くなってから30年がたった。私はあれから、大学に進学し、就職し、結婚出産を経て母になった。自分の子どもが、当時自分が暴力を受けていた年齢やナオコちゃんが性的虐待を受けていた年齢に差し掛かったころから、隠れていたあの頃の心の傷が引き出されて苦しくなることが増えた。自分の思い出に苦しみ、自分の子どもが心配で不安になる。そしてあの頃の加害者達は、今でも平然と暮らしているのだろうかと怒りを覚える。

6 今でも性的虐待に苦しむ子供が絶たない

ナオコちゃんが性的虐待を受けていたのは、1980年代の出来事、今から約35年くらい前のこと。いまでこそ、子どもに対する性的虐待の実態が少しずつ明らかになり、その深刻さに行政も動き出している。でも。全国の児童相談所が把握している虐待のうち「性的虐待」は1%程度。これは氷山の一角に過ぎないと思う。

本来なら、学び教育を受けるはずの学校や塾、習い事の場や学童保育などで先生や指導者から、また、安心できる場所であるはずの自宅で、親や兄弟から性的虐待を受け、死ぬほどの悩みや苦しみを抱え続けている子どもたちがたくさんいる。

被害にあう子どもたちは、加害者から脅されたり、周りの人に気持ちを気遣って、身近な人からの暴力や性的虐待を何年も(最後まで)他人に話せない子どもが多くて潜在化しやすい。子どもがやっとの思いで、人に訴えても、家族や加害者に否定されることも多く、訴えるのを諦めてしまい、実体すらつかめないことが多い。最悪の場合、亡くなってから、暴力や虐待、性的虐待の実態が明らかになったり、亡くなっても解明されないことも多い。実際ナオコちゃんが、性的虐待を受けていたことは、親も身近な大人も誰も知らない。

近年では、性的虐待の深刻さや潜在化の問題が次第に判明する中、行政も対策強化に取り組み始めた。 厚生労働省も、全国にある児相を対象に実態調査をはじめた。子どもが性的虐待も受けていたのに、児相が介入や把握できず、面談などで追って被害が判明した事例の報告を求めている。厚労省も実態調査について「今のままでは性的虐待が把握されず、被害に対する十分なケアを受けられない恐れもある。児相などの職員が適切に対応できる態勢づくりを進めたい」としているようだが、児相の介入もない、ごく平凡に見える家庭にも被害にあう子どもは多い。

どうしたら、被害者を出さなくてすむか。どうしたら、加害者をうまないか。どうしたら、加害者に反省させて同じことを繰り返させないようにできるか。どうしたら、被害者の心をいやせるか。ずっと考えている。

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今の時代、多くの人がストレスを抱えて生きていると思います。 私も成長期の家族からの暴力や虐待に30年以上たった今でもトラウマを残し、生きづらさを抱えて生きてきました。 でも、人はみんな幸せに生きる権利があります。今の人生がつらい過去の上にあるとしても、そして、自分を取り巻く状況が厳しいものであっても、人の心や幸せの意味を考えてみんなに幸せになってもらいたいと思います。 最近、保育の勉強に興味をもちました。学んでいると、まるで自分を育てなおしているような気持になります。学んだことをブログにもまとめていますので興味のある方は是非ごらんください。育児中の方などにもお勧めです。