◎心の葛藤

・家を出た

18歳の時に家を大学に行くという名目で出た。暴力や虐待の思い出がぎっしり詰まった家を。

今の時代(当時でも)大学に行かせてもらえるといえば、親に感謝するべきとの意見もあるだろう。いや、そういう意見の方が多いかもしれない。でも、私の場合はそんな風には思わなかった。私のすることは何事も、小さいころからいつも父親から強制され父親が指し示す方向に進まなければ暴力、暴言によって制限された。趣味も部活も着るものも髪型なども。進路もその一つであった。

学歴にコンプレックスがあり、何よりも世間体を大切にする両親は何としても自分の子供を4年制の大学に進学させたかった。兄は私より3年前に東京の有名大学と言われるところに進学をしていた。私が大学に進学をした1991年は、まだ女子の4年制大学の進学率が15%程度だったが、両親はとにかく4年制の大学に行かなければいけないと主張し、私が短大や専門学校などのパンフレットを高校の先生にもらって家に持ち帰ると、怒鳴り、パンフレットを何度も机や床にたたきつけ4年制以外の進学なら金は一切出さないと言い、4年制大学以外の進学を阻止した。

両親の言うことを聞くしかない私は、父の命令通り高校に4年制大学進学希望届けを出したが、今度は父は『親に言われたからそうする』という私の態度について気に入らず暴れた。「自分が本当にそう思って頑張らなければよい大学にいけるわけないじゃないか!心からそう思え!とにかく親の言うとおりにしろ!お父さんは支店長になったんだ!支店長の子供が短大なんかでは困るんだ!」そんなことを延々とまくし立てた。

私はもうどうでもいいと無気力な気持ちだったが、両親の言う通りに4年制の大学に進むのなら家を出れる、と前向きに切り替えた。1991年当時ベビーブーム世代が大学受験生となり、どの大学も競争率が高く、浪人生向けの予備校も乱立していたが、とにかく家を出るということを希望に勉強した。大学はできるだけ実家から遠くに行こう、そして二度と実家に戻らなくていいように永住しやすい地方を選んだ。首都圏にも憧れはあったが落ち着いてずっと暮らせるところ、そして家族や親せきがなかなか来れない場所を日本地図をみて考えた。

そして、高校を卒業し家を出て大学に進学した。

ここから私の本当の人生が始めれられる。もう2度と暴力や虐待に苦しむことはない。人生を生きなおせる。生まれ変われる。そう思った。

そのときは、この後、激しいフラッシュバックや後遺症、生きにくさが待っているとは知る由もなかった。

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今の時代、多くの人がストレスを抱えて生きていると思います。 私も成長期の家族からの暴力や虐待に30年以上たった今でもトラウマを残し、生きづらさを抱えて生きてきました。 でも、人はみんな幸せに生きる権利があります。今の人生がつらい過去の上にあるとしても、そして、自分を取り巻く状況が厳しいものであっても、人の心や幸せの意味を考えてみんなに幸せになってもらいたいと思います。 最近、保育の勉強に興味をもちました。学んでいると、まるで自分を育てなおしているような気持になります。学んだことをブログにもまとめていますので興味のある方は是非ごらんください。育児中の方などにもお勧めです。