◎暴力・虐待の記憶

おいたち

1973年1月に静岡県で生まれ育ちました。

サラリーマンの父、私が生まれた当時は専業主婦だった母、3歳年上の兄の4人家族。新興住宅地の庭付き一戸建てに住む核家族。私が生まれたときは両親はもちろん兄も祖父母も喜んだことだろう。そして両親はきっと幸せな家庭を作ろうとしていたのだろう。。そのころは。。。私は生まれた時から虐待を受けていたわけではなかった。幼少のころはほかの友達と同じように幸せを感じてすごしていたこともあった。

成長に伴い、私が小学校低学年のころには、両親の子供たちに対する子育ては、教育から支配に変わっていった。父は子供たちの行い、成績、趣味などなんでも自分の好みや価値観に合わなければ、罵声を浴びせ暴力で子供たちの行動を制した。母は父に経済的にも精神的にも依存していたため子供たちに父の言うことを聞くように諭した。そして私と同じように父から『厳しい教育』と称した暴力を受けていた兄は、そのストレスを両親がいない時間、私に向けた。父から兄、兄から私への暴力・虐待の連鎖だった。この兄の私に対する暴力は家族も他人もだれも知らない。

父の厳しい支配や暴力は私が小学生になったころにはすでに始まっていた記憶がある。当時から理不尽さを感じていたが従うしかなかった。兄からの暴力・虐待は私が小学校3年生の時(8歳の時)から始まった。それまで専業主婦だった母が近所の託児所で働き始め、月曜日から土曜日まで朝8:30から18:00過ぎまで家をあけるようになったのがきっかけだった。

それは壮絶なものだった…。8歳から始まった壮絶な虐待・暴力。地獄だった。死にものぐるいで生きてきた。いつも体中や頭が痛み、つねに血の匂いで食べ物の味もわからない。自分が暴力を受けていることを誰にもわからないように演じて過ごさなければならない。そうしなければ次の日はもっとひどい虐待が待っているから。生きる気力なんてなかった。どうしたら逃れられるか、どうしたら楽になれるか・・もう死ぬしかないのか。。小学生から中学生の頃の私はそんなことだけを考えながら毎日を過ごした。

18歳の時、大学に行くという名目で家を出た。もう二度と暴力を受けた家に戻らない…。という気持ちで、実家(鬼の住処)がある静岡から遠く、約500㎞離れた岡山へ。ここには兄もいない。親戚もいない。これからは穏やかに生きられると思った。でもそうは簡単にはいかなかった。その後からかなり長い間…フラッシュバックに苦しんだ。そして何故かすごく、生きにくさを感じる。虐待のない世界で育った人とは違う世界を生きているということがはっきり分かった。

その後…時を経て今47歳になりました。二人の子供の母にもなりました。普通に仕事もできています。いまでもまだしんどいことがたくさんあるけれど、何とか日々生きにくさを乗り越えて(というよりか、交わして)フラッシュバックを抑えて、生きることに前向きになれるようになってきました。

同じように苦しむ人の力になればと思い、私の経験、体験を書き綴っていきます。似た経験をした人には読むのがつらい人もいると思います。そういう時には無理をしないで、虐待、暴力の体験ページは閉じてください。すこし時間がかかるかもしれませんが、苦しみをクリアしてきた方法も書いていきたいと思っているので、参考になればと思います。

だれもが暴力や虐待の記憶から解き放たれて心穏やかに暮らせますように。今、暴力や虐待を受けている人が救われますように。そして、世の中から暴力や虐待がなくなりますように・・・。

2021.1.2

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今の時代、多くの人がストレスを抱えて生きていると思います。 私も成長期の家族からの暴力や虐待に30年以上たった今でもトラウマを残し、生きづらさを抱えて生きてきました。 でも、人はみんな幸せに生きる権利があります。今の人生がつらい過去の上にあるとしても、そして、自分を取り巻く状況が厳しいものであっても、人の心や幸せの意味を考えてみんなに幸せになってもらいたいと思います。 最近、保育の勉強に興味をもちました。学んでいると、まるで自分を育てなおしているような気持になります。学んだことをブログにもまとめていますので興味のある方は是非ごらんください。育児中の方などにもお勧めです。